今まで僕はインターネットは「多く情報に触れたり多くの人とコミュニケーションを取ることを可能にし、利用する人の考えの幅を広げるものである。」思っていたし、世間の多くのそう思っているんじゃないかと思います。でも最近、ちょっと違うんじゃないか?と。
テレビや雑誌を見ていると、ふとした感想というか感情の種が芽生えることがあります。「ジーコ采配おかしいよな」とか「ブッシュむかつくよな」とか。そういった感想というのは、周囲の人と会話をして意見交換をしていくなかで、「ああ、これはやはり自分以外の多くの人も思ってることなんだな」とか「あれ?そう思ってるのは俺だけか」などという形で、世論とか常識とかといったものとの相対化がなされていきます。
でも最近では、わざわざ学校や会社や家族と会話をしなくても、掲示板・SNS・blogなどで他人の意見を知ることが出来ます。例えばテレビを見ていて、あるコメンテーターの発言に対して「ちょっといまのおかしくね?」と感じたとします。そこでネットにアクセスすれば、同じ番組を見ていた人の僕と同じような意見のコメントを掲示板に見つけることができるでしょう。blogをさがせば、そのコメンテーターの過去の批判や暴露ネタなどのネガティブ情報もすぐに見つかるでしょう。SNSに行けば、同じ意見を持つ人が見つかり、その意見を裏付けるデータや理論武装も誰かがblogに書いてくれているでしょう。こういったプロセスを経て、自分の意見がマジョリティーであり、裏づけのある正しいものだと思い込んでしまう。
怖いことに僕を含め多くの人は、ネットに対して他人の幅広い意見を求めるわけではなく、自分と同じ意見を持つ人を探してしまう傾向があるということです。自分の中の思いつきをネット上で確認するときに、自分と反対の意見をわざわざ探す人はたぶん少ないと思います。
そして、多くの人にとって、定期的に見る掲示板・SNS・blogは限定されています。つまりネットが、幅広い人と多様な意見交換をする場ではなく、少数の人とより集中的に意見交換をする場になっているのではないか、と。インターネットにより、接する世界はより単調かつ狭いものとなり、取り入れる意見や自分自身の思考も単純化していったりするのではないか、と。そして本当は、ネット上よりも学校のクラスや会社の同僚や飲み屋のオヤジなんかにこそ、多様で幅広い意見というのが存在するのではないか、と。そんなことを思いました。
よって、自戒。安易にネット上に『同意』を求めない。掲示板やSNSは、幅広い世界ではなく、ある共通項をもつ限定された人たちの集まりだと意識する。
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