イスラム教における「寛容」

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フォーサイト5月号の池内恵氏による『改宗者裁判が問う「自由」と「寛容」の意味』という記事を読む。 日本ではあまり取り上げられなかった(ような気がする)、アフガニスタンの改宗裁判問題を受けての記事です。このニュースはABCのPodcastingニュースではTopで取り上げられていましたら、アメリカではそれなりに注目度の高いニュースだったのでしょう。 アフガニスタン:男性、改宗した罪で伊に亡命 昨今、イスラム教イコール「原理主義」「テロ」などという偏見を持たれることが多い一方、「イスラム教は本来寛容な宗教である」という擁護の意見もありますが、この「寛容」が実は日本人や欧米人が考える「寛容」とは大きく異なるものである、という話。
また、欧米や日本では「寛容」といえば、異教徒を対等な他者として遇し、その思想信条を同等の価値のあるものとして認めることである。しかしイスラーム教の「寛容」とは、イスラーム教徒異宗教との間の協議の正誤と価値の優劣に関して差をはっきりさせ、異教徒がイスラーム教徒の協議の優位性を認め、政治的・軍事的な支配に服する限りにおいてその存在を許容するものである、異教徒側はイスラーム教に改宗する必要はなく、イスラーム教の教義や政治・軍事的支配に挑戦しないことを条件に、攻撃されないことを約束される、というのがイスラーム教の「寛容」である。
イスラム教の教義自体に、異宗教が「誤った宗教」として含まれている以上、異宗教を対等なみなすことはできないということです。 もちろんこれは、どちらが良い・悪いとか、どちらの正しい・間違っているという問題では全くありません。が、深刻な問題ですね。あまりにも拠って立つ価値観が違いすぎる。久しぶりに「文明の衝突」を読み直してみようか。

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