今日は終戦記念日です。ここ最近、テレビでも戦争関連の番組が多く放送されています。
そんな中で、「現代の日本の平和は、戦争で亡くなった多くの兵士の犠牲の上に成り立っている。」という言葉を時々耳にします。僕はこの言葉に、強い違和感を感じます。
日本語の「犠牲」は、英語で言うSacrificeとVictimの両方の意味で使われます。Sacrificeは、他人に何かをもたらすために、自ら「犠牲」になる人。Victimは、何か理不尽な災害・事故に巻き込まれて、残念ながら「犠牲」になる人。
戦争はいつも権力者が始めて、死ぬのは力の無い人々です。そういう意味で、戦争で亡くなった兵士は戦争のVictimsです。無駄な戦争でなくならざるを得なかった人々は、本当に無念だろうと思います。
しかし、現在の平和が彼らの犠牲の上に成り立っている、つまり彼らがSarcrificesになっているという考え方は間違っていると、僕は思います。そういう考え方は、きっといつかまた新たなSarcrificesを求めると思います。
もちろん、実際に親類や知人を亡くされた世代の方には、簡単に割り切れないところも多かろうと思いますが、僕は「彼らの犠牲の上に成り立つ」ものがあるとすれば、「彼らは無駄で愚かなことのVictimsとなってしまった」という事実を忘れないようにすることだけではないか、と思います。
繰り返しますが、Sacrificeを賛美する精神は、きっとまた新たなSacrificesを要求します。そしてそのとき実際にSacrificesとなるのは無名の弱者であり、それを賛美する人では決して無いのです。
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