inside outの「1:学生による授業評価アンケート調査の分析」に反応。
「何をすれば良いかがわかっているようなテスト=することが決まっているようなテスト」でなくて、「問題を解決するようなタイプのテスト」を学生にさせたりはしないものなの?と高校の先生に聞いてみた。
社会に出てから出会う「問題」は、答えが無いものだったり、逆に答えが複数あったり、そもそも問題の定義自体から始めなければならなかったりします。だから、暗記にもとづいて限定的な問題を解く力ではなく、より実践的な考える力、つまり問題解決力をつけさせることが大事なのではないか、というのは日本の教育について常々言われている問題です。
問題解決力教育の重要性に対して異論を唱える人はあまりいないと思いますが、それでもやっぱり暗記ベースの定型的教育は変わらないように思えます。その理由としてあげられるのは、「教員の資質を含めたコストの問題」と「中学高校が大学受験準備機関になっていること」、そして「努力の報われかた」があるのではないかと思います。
すると「そういう-新しい問題を解決させるような-タイプのテストをするとどうしてもテスト結果の点数が悪くなります。単なる知識確認でなくて、そういった問題解決の能力はすぐには身につけさせることができませんから。ところが、テストの点数が悪くなると、-学生からの授業評価アンケートの結果-が悪くなってしまいます。そんな状況で、よく言われるのが-授業でやったことのないことをテストに出した-という批判です。
特に中学高校においては、生徒に『努力』『勤勉』を教えることが教育の重要な目的とされています。そして、努力の重要性を理解させるためには、努力が『報われる』ということを体験させる必要があります。暗記型教育では、当然個々の生徒の能力差はあるわけですが、基本的にだれでも努力すればある程度の点数が取れます。そして、「どんな努力をすればいいか」について悩む必要はありません。
もちろん、実際の社会では努力が必ずしも報われるわけではないし、どんな努力をすればよいのかすら、誰も教えてくれません。ただ、努力が大事であることを教えるスキームとして、「努力すれば報われる」という基本ルールを軸に社会での競争を単純化した「暗記型教育」というシミュレーションフィールドの実現が、現在の日本の学校教育の目的の一つなのではないかなと思うのです。
ただ、本来限定されたゲームであるべき暗記教育があまりに肥大化したことで、よい就職をするためによい大学に入るのに、よい大学に入るためには就職してからは不要な知識をせっせと身に着ける必要があるというジレンマに陥ってしまっています。また、よい大学に入ったからといってよい就職ができるとは限らないにも関わらず、それでもよい大学に入る以外の方向性を中高生に提供できていないのも、日本社会のジレンマですね。
うう、なんだかよくわからなくなってきました…。教育には受験をベースとした「選別」の性格が強くありますが、その選別が何をもとに何のための選別をしているのかが不明確なのが、問題なのかな?昔は「暗記力・根気強さ」をベースに、「就職する企業(官庁)」のレベルを選別していたのでしょうが…。
結局は、大人も含めて「日本をどういう国にしたいか」ということを考えて、教育問題もそこから帰納的に考えられるべきものなんでしょうね。って、なんだかありきたりな結論になってしまいましたが。
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