やっぱりアウトプット

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梅田望夫さんのblogのBlog論2005年バージョン(2)というエントリーに反応。

日米の専門家を比較して思うのは、日本の専門家はおそろしく物知りで、その代わりアウトプットが少ない。もう公知のことだから自分が語るまでもなかろうという自制が働く。米国の専門家はあんまりモノを知らないが、どんどんアウトプットを出してくる。玉石混交だがどんどんボールを投げてくる。そんな対比をすごく感じる。

確かに世間では、特別高度な知識を持っているわけではない人が一生懸命アウトプットをしていると、失笑を買ったり、場合によっては「イタイ」と見られることが多いかもしれません。「沈黙は金」とか「能ある鷹は爪を隠す」みたいな価値観もありますし。

単に知識をひけらかしたり、必要以上に自分をアピールするための主張は「イタイ」と言われて当然です。ただ、みんながインプットした知識をその人なりに加工し、自分のためだけではなくコミュニティのために(それは結果的に自分のためになるのですが)アウトプットしていく世界は、知的生産性という点でとても健全ですよね。

研究者でもそういう違いがある、と科学者の友人に聞いたことがある。日本の研究者は、自分の研究領域の周辺でどんな研究がなされているのか恐ろしくよく知っている。米国の研究者はあんまり知識はないが、考えたことをどんどん突き進めて行く。モノを知らないから、ずいぶん研究したところで、それに気づくみたいな無駄があるが、大切なのは自分の頭で考えて研究するプロセス自身にあるのだから、確率的にブレークスルーが出やすい。そんな話だったかと思うが、何だか相通ずるところがある。

僕みたいな凡人は、どうしても「自分のアウトプットなんて誰にも必要とされてないから…」と考えがちです。そうじゃないんですよね。アウトプットに至るまでのプロセスが、とても価値のあるものを生み出す源泉なんですね。

あと僕が大事だと思うのは、他人のアウトプットを尊重する気持ち。そういう気持ちが、みんながアウトプットしやすい社会を作るんじゃないかな。

モノを書くことは恥をかくことである。恥をかきたくなければ何も発表せず、読むだけ読んで人のことを「バカだなぁ」とうそぶいていればいい。

梅田さんはモノを書くことについて語っておられますが、全ての「行動」に当てはまることではないでしょうか。どんな組織にも「行動する人」と「批評する人」がいます。批評は常に安全で心地よいものですが、やはり恥をかいてでも、自分自身と周囲の両方のために行動する側の人でいなければなあと思います。

[関連エントリ]
何もしない人ほど批評家になる

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